激動の19・20世紀を経て
日本初の興信所
日本で初めて「興信所」という機関ができたのは、明治時代にさかのぼります。
まず商業興信所(明治25年 大阪)、次いで東京興信所(明治29年 東京)。
しかし、この2社は日本銀行と大手民間銀行が後ろについて設立されたもので、仕事は企業の信用調査でした。
つまり、企業を相手に財務状況を調べて、倒産するリスクがどれくらいあるか判定する仕事です。
浮気調査、家出人探し、結婚相手の調査など、個人対象の調査はやっていませんでした。
今、私たちが考える「興信所」とはほぼ関係のない話なのです。
日本初の民間興信所
しかし、明治33年に初めて民間人が作った興信所は、ちょっと関係してきます。
それは、後藤武夫という人物が創業した「帝国興信所」です。
仕事内容は企業の信用調査で、創業当時は仕事がなくて困っていたのですが、日露戦争後の企業設立ブームに乗って、国内最大の興信所に成長しました。
そしていつしか個人対象の調査もやるようになっていました。
しかし、1981年に「帝国データバンク」に社名変更した際に、個人調査からは完全に手を引き、企業信用調査の専業になりました。
ちなみに企業信用調査の業界は、帝国データバンクが60%、東京商工リサーチが30%、上位2社のシェア合計が90%を占める寡占業界です。
この2社のような企業を興信所と呼ぶ人は少なくなっています。
結局、これも現代の興信所業界とは関係の薄い話になっています。
現代の興信所業界のルーツ
今日、興信所というと、浮気調査、家出人探し、結婚相手の調査など、個人対象の調査をする企業を指すのが普通です。
探偵事務所・探偵社などとほぼ同義語になっています。
こうした企業のルーツはどこにあるのでしょうか?
業界大手の原一探偵事務所のホームページには、「現代の探偵業のルーツを作ったのは、岩井三郎という刑事を退官した人物」という話が伝聞の形で記載されています。
帝国興信所は企業信用調査のみで生きる道を選びましたが、同時代のより小さな興信所の中には個人調査で生き残る道を選んだ業者もたくさんいたでしょう。
ベテラン探偵・小原誠さんの著書には、「戦前からあった興信所は、終戦直後は戦争で行方不明になった人を探したり、記録が焼失した土地の権利関係を調べる仕事をしていた」という話が出てきます。
戦後の混乱が収まり、世の中がだんだん豊かになっていくにしたがって、浮気調査などがメインになっていったのかもしれません。
一方、興信所業界は今も昔も新規参入と撤退の盛んな業界です。
今日、有名な探偵社の中にも、経験がほとんどない状態で飛び込んで生き抜いてこられた方がいます。
経験不足の参入者はほとんどが食べていけずにやめていくのですが、稀には自分なりにノウハウを積み上げてのし上がっていく人がいるのです。
このように見ると、戦前からの興信所、警察退職者、ゼロからの業界参入者などが入り混じって昭和の時代に競い合い、今日の興信所業界が出来上がってきたのだろうと推定します。